2010年05月30日

鉄男 the ballet man

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オモロイ映画でっせ。
見て感じて考えて楽しめますわ。

(見る前)
シリーズ第三作やし、結構年数たってるし、ロックバンドが再結成したのを聞いてがっかりするのと
同じようながっかり感かなあっちゅう気もしたが、「鉄男は作るたびに何かをやり残した感じがする」っちゅう塚本監督のコメントを読んで、ほなら観てみよかと。そやそや上映時間が2時間やなくて90分ちゅうのも気に入った。

(観てる時)
ああ、がんばってはるなあと。前二作に負けずの緊張感、より多くの人に訴えようとする編集、絵とセリフと音楽をギリギリまで削ってストイックに「何か」を追求する、この世界観はええわあ。すんなり入れる。

(見た後)
こりゃまだ続きそうやなと。「何か」を掴みかけてはこぼれ落ちるようなもどかしさとまだ何かあるぜ的な期待感。

(翌日の感想)
都市と肉体は塚本監督の一貫したテーマ。

はて?都市ってなんやろね、、都市っちゅうのはおっさんやろか爺さんやろか、若いもんなんか、、。思うに都市開発っちゅう延命措置で無理やり生きながらされている後期高齢植物人間ちゅう気がするわ。ほんまこのまんま「生かす」のが本人のためなんかなあと。ある意味、都市の「破壊」は、その安楽死なんかもしれんな。どっちええかわからんが、自分が都市やったら「逝か」せて欲しいな。

ほんで、肉体。ところで「心の闇」ちゅうのは便利な題材や。歌でもドラマでドキュメントでも何でもそれなりに「ヒューマニズム」に訴えてそれなりに商業的な利益が見込めるからなあ。他方「肉体の闇」はどうやろか。ある日自分の肉体が鉄に変わるっちゅう
のが鉄男シリーズのキモ、そやけど突飛で非現実的とはちいとも思わへん。知識や情報で肉体を「健康」管理できるちゅう思い込みのほうがよっぽと突飛で非現実的と思うけどな。肉体の闇の向こうに歓喜の光が待ちわびているちゅうロマンが好きですわ。しょせん心なんちゅうのは、肉体の現象のひとつやのに、なんか「心」が特別な地位に奉られるっちゅうのは気持ち悪いで。

そやそや鉄男はアイアンマン2と対比するとオモロイかもしれませんな。

ほなら

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2009年06月05日

ハゲたか?

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「誰かが言った 人生の悲劇は2つしかない ひとつは金のない悲劇 もうひとつは金のある悲劇 世の中は金だ 金が悲劇を呼ぶ」
(映画「ハゲタカ」より)

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「私が言った 悲劇には二つの人生がある ひとつは金を使う人生 もうひとつは金に使われる人生 金だけが世の中だ 世の外には喜劇がある」

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今日の詩「キャシュオンリー」

札束は悪党へのパスポート
posted by enpho at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月17日

「レッドクリフ」のスピード感

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ジョンウー監督の「レッドクリフ」を観た。
最高におもしろい映画だ。
ハリウッド進出で得たノウハウをふんだんに用いて
中国の古典を大迫力とスピードをもって映像に蘇生させた。

大人員、大地、大河という豊富な「資源」に圧倒されるのは当然として、
2時間35分を一気に見せる、そのスピード感が素晴らしい。

映画のスピード感は俳優が早口でしゃぺったり、素早く動くことで
生まれるのではない。

その柱は脚本とカット割にあるわけだが、まず脚本。

極力 説明用の台詞を省いている。物語の進行上、多少不自然でも
観客に説明するための台詞があるわけだが、それがほとんど無く、
俳優の演技と小道具(扇、屏風、わらじなど)で暗に説明している。

説明はリスキーだ。なぜなら時間の流れに逆らうからだ。
物語は前へ前へと進もうとするのに、その理由(過去)を語ることは
見る側の時間感覚を分断するためだ。
誤解を恐れる監督ほど説明を台詞に盛る。さらに自信が無い場合はナレーションで説明しつくす。

映画のスピード感は現実の疑似体験の濃度にかかっているのに、説明でその濃度を薄めてしまうという愚行。その点 ジョンウーは誤解を恐れず大胆に台詞を省き、濃縮還元脚本で物語を前へ進める。(注)

次にカット割り。
例えば、なぜ大した内容でもないテレビCMを見てしまうのか。
それはカット割りが細かいからだ。ほぼ1秒ごと。
ミュージックビデオもほぼ1秒刻みで、見せ場は3秒で強調する。

カット割りは、過去を切り捨てる効果があるから、その分見る側の時間感覚が前へ前へと加速するのだ。
ただ過剰なカット割りはストーリを分断するリスクもある。単なる映像のつぎはぎになり、見る側に混乱を生じさせてしまうのだ。

もっともCMは15秒であり、またテーマもシンプル(商品のアピール)だし、ミュージックビデオは曲が流れているので、流れが分断されるリスクは無い。

さて映画である。このカット割のセンスこそがライブでみる舞台(演劇、ミュージカル)との最大の違いであり、監督の腕の見せ所である。(かの北野武監督も、「撮った後の編集が一番楽しい、ブラモデルを組み立てているみたいで」と語っていた)

レッドクリフの場合、カット割りに遠近のメリハリが効いている。即ち戦闘シーンではこれでもという位の細かなカット割り、さらにズームアップ(例えば兵士の盾だけ、剣を握るところだけ)をもって、観客が戦乱の渦中にでもいるかのごとく錯覚させる。

戦闘シーン以外では、二人の軍師がロックギターのソロ合戦のように琴を弾くのだが、指先のアップをうまく使って、もの凄いスピード感を演出していた。

そしてその対比でのロングショット。20万人の兵士が船や騎馬で移動するシーンを俯瞰でとる。ズームアウトと控えめなカット割りで観客を高みの見物へと誘うのだ。

「三国志」という優れた原作による部分が多いいものの、この映画の面白さはジョンウーならではと思う。中国という歴史と国土を生かしつつ、それにもたれ過ぎないのも良い。
人は何を信じ何に命を賭けるか、それは国境人種を越えて共感を呼ぶテーマであり、たまたまその素材が中国の古典であったに過ぎない、と思える映画である。

ジョンウー監督いわく
「この映画は、アジア映画でも、ハリウッド映画でもなく、世界映画なのです。」

来春のパート2が待ち遠しい限りである。


(注)スピード感を殺さずに説明するための苦肉の策としては、カットバック(過去のエピソード映像をちょこっと挟む)があるが、ジョンウーはそれすらも使っていなかった。

posted by enpho at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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