

中大兄皇子と藤原鎌足が構築した古代初期や縄文時代晩期に関わる歴史像は大きな嘘であった、という結論は明らかだ。
(「シリウスの都飛鳥-日本古代王権の経済人類学的研究」/栗本慎一郎)
なんちゅうか当たり前すぎてその当たり前さのまやかしにどう気づいて良いかわからん、ちゅうのが天皇制かもしれんなあ。
小学生んとき「天皇は日本の象徴です。学校の校章みたいなものです」ちゅう説明が先生からあったんやけど、「はあ、人間やのにバッチ扱いっちゅうのも難儀のこっちゃなあ」とわかったようなわからんのような、まあ、それが「大人のやり方」なんやろなあとこれまたわかったふりして今に至るわけや。
で、今年にはいってなあ、オバマはんの就任演説で、アメリカがイギリスとの戦争のすえ植民地から独立して今に至るっちゅうのを改めて聞いてなあ、そうすると日本はいつから日本になったんかなあと疑問が再浮上したわけや。
廃藩置県までは容易にさかのぼれるわな。それまで国ちゅうのは、藩のことやったわけで、「あんた、くにはどこや?」なんて年配の方が聞く場合があるわな。「おくに」自慢ゆうてふるさとの名品を紹介したりな。よーするに、税金をまきあげて、独自の軍隊をもっとれば、それで「国」として独立していたわけやな。
ざっくりいうたら、殿様がしきっておる集団が小さな国やったわけで、そん中でも天皇に「おまえは征夷大将軍として認めたる」と言われた者が、一番えらい殿様として全国を仕切とったわけや(いわゆる広域暴力団も同じ仕組みやね)。
今でも総理大臣は国会で選ばれた後に天皇の任命を受けるわけやから、その伝統は生きているわけや。任命ゆうんやから「ほんとはな、わしがこの国仕切る権限持ってるんやけど、多数決で決まったらしいから、おまえに任せたるわ」っちゅうことやな。そやから、「多数決だがなんだか知らんが、おまえにはこの国は任せられん」ちゅうことで任命されんかったら、総理大臣になれへんわけや。しかし、ショックやろうなあ、バッチに任命拒否されたらなあ、、、。
(そう考えると、アカン総理を任命した天皇に責任を問うっちゅうのもおかしくないわけやな)
そんでや、なんで天皇はそないな権限もってるんや、ちゅう話や。教科書的には645年の大化の改新からっちゅうことやな。一番ブイブイ言わしとった豪族の親分、蘇我入鹿を中大兄皇子が暗殺して、「これからわしら天皇家が全国仕切るでえ」と宣言して、その暗殺を正当化するためにいろんな手をうったわけや。今の元号制度もそっから始まったし、日本の起源を文字で残すっちゅことで新たに「日本書紀」やら「古事記」も作らしたわけやな。(ちなみに聖徳太子も日本の起源を文字に残しておった。「国記」と「天皇記」やな。そんときのゴタゴタで焼かれたらしい)
その前は、皇族と豪族のツートップ体制やったわけや。特に聖徳太子と蘇我家の組合せはどちらかが強くなりすぎるのでもなく、もちつもたれつ牽制しつつ、なんとな〜くバランスをとっておった。で、聖徳太子が死んだ時に、そのバランスが崩れて、蘇我一族が天皇家の奥まで食い込んでのっとったるちゅうような意図を感じた皇族が逆にクーデターをしかけて、蘇我一族を滅ぼしたちゅうことや。
そんで今後も豪族の反抗を防ぐっちゅうことで、大化の改新で天皇家独裁をしいたわけや。まあこれが今日まで脈々と続いておるっちゅうことやね。
今やったら、そうやな、平成天皇が崩御されて、そこへ自民党が皇族乗っ取りを図るらしいと感じ取った皇族側が、検察を動かして麻生総理を逮捕させて、皇太子が自分で自分を総理大臣に任命して大改革を断行するっっちゅうことになるやろか。
ん、栗本先生の本とは全然関係ない話になってもうた。で先生の本は、なんで奈良県(飛鳥)に天皇がおったんか、ちゅう話や。首都っちゅうのは戦争やら、経済活動やらで便利なとこにこさえるのが当たり前で、飛鳥のような不便な場所がなんで選ばれたんや、ちゅう謎を解いてゆく。その道筋が天皇の天皇たる由縁を解き明かして、さらに蘇我一族がなんでツートップまで登りつめたかをも考えさせるっちゅうわけや。
ああ、なんかようまとまらんわ、いつものことやけど。
ほなら