2009年07月12日

てんのー

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中大兄皇子と藤原鎌足が構築した古代初期や縄文時代晩期に関わる歴史像は大きな嘘であった、という結論は明らかだ。
(「シリウスの都飛鳥-日本古代王権の経済人類学的研究」/栗本慎一郎)

なんちゅうか当たり前すぎてその当たり前さのまやかしにどう気づいて良いかわからん、ちゅうのが天皇制かもしれんなあ。

小学生んとき「天皇は日本の象徴です。学校の校章みたいなものです」ちゅう説明が先生からあったんやけど、「はあ、人間やのにバッチ扱いっちゅうのも難儀のこっちゃなあ」とわかったようなわからんのような、まあ、それが「大人のやり方」なんやろなあとこれまたわかったふりして今に至るわけや。

で、今年にはいってなあ、オバマはんの就任演説で、アメリカがイギリスとの戦争のすえ植民地から独立して今に至るっちゅうのを改めて聞いてなあ、そうすると日本はいつから日本になったんかなあと疑問が再浮上したわけや。

廃藩置県までは容易にさかのぼれるわな。それまで国ちゅうのは、藩のことやったわけで、「あんた、くにはどこや?」なんて年配の方が聞く場合があるわな。「おくに」自慢ゆうてふるさとの名品を紹介したりな。よーするに、税金をまきあげて、独自の軍隊をもっとれば、それで「国」として独立していたわけやな。

ざっくりいうたら、殿様がしきっておる集団が小さな国やったわけで、そん中でも天皇に「おまえは征夷大将軍として認めたる」と言われた者が、一番えらい殿様として全国を仕切とったわけや(いわゆる広域暴力団も同じ仕組みやね)。

今でも総理大臣は国会で選ばれた後に天皇の任命を受けるわけやから、その伝統は生きているわけや。任命ゆうんやから「ほんとはな、わしがこの国仕切る権限持ってるんやけど、多数決で決まったらしいから、おまえに任せたるわ」っちゅうことやな。そやから、「多数決だがなんだか知らんが、おまえにはこの国は任せられん」ちゅうことで任命されんかったら、総理大臣になれへんわけや。しかし、ショックやろうなあ、バッチに任命拒否されたらなあ、、、。
(そう考えると、アカン総理を任命した天皇に責任を問うっちゅうのもおかしくないわけやな)

そんでや、なんで天皇はそないな権限もってるんや、ちゅう話や。教科書的には645年の大化の改新からっちゅうことやな。一番ブイブイ言わしとった豪族の親分、蘇我入鹿を中大兄皇子が暗殺して、「これからわしら天皇家が全国仕切るでえ」と宣言して、その暗殺を正当化するためにいろんな手をうったわけや。今の元号制度もそっから始まったし、日本の起源を文字で残すっちゅことで新たに「日本書紀」やら「古事記」も作らしたわけやな。(ちなみに聖徳太子も日本の起源を文字に残しておった。「国記」と「天皇記」やな。そんときのゴタゴタで焼かれたらしい)

その前は、皇族と豪族のツートップ体制やったわけや。特に聖徳太子と蘇我家の組合せはどちらかが強くなりすぎるのでもなく、もちつもたれつ牽制しつつ、なんとな〜くバランスをとっておった。で、聖徳太子が死んだ時に、そのバランスが崩れて、蘇我一族が天皇家の奥まで食い込んでのっとったるちゅうような意図を感じた皇族が逆にクーデターをしかけて、蘇我一族を滅ぼしたちゅうことや。

そんで今後も豪族の反抗を防ぐっちゅうことで、大化の改新で天皇家独裁をしいたわけや。まあこれが今日まで脈々と続いておるっちゅうことやね。

今やったら、そうやな、平成天皇が崩御されて、そこへ自民党が皇族乗っ取りを図るらしいと感じ取った皇族側が、検察を動かして麻生総理を逮捕させて、皇太子が自分で自分を総理大臣に任命して大改革を断行するっっちゅうことになるやろか。

ん、栗本先生の本とは全然関係ない話になってもうた。で先生の本は、なんで奈良県(飛鳥)に天皇がおったんか、ちゅう話や。首都っちゅうのは戦争やら、経済活動やらで便利なとこにこさえるのが当たり前で、飛鳥のような不便な場所がなんで選ばれたんや、ちゅう謎を解いてゆく。その道筋が天皇の天皇たる由縁を解き明かして、さらに蘇我一族がなんでツートップまで登りつめたかをも考えさせるっちゅうわけや。

ああ、なんかようまとまらんわ、いつものことやけど。

ほなら




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2009年07月07日

文学無き者に幸あれ

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堀江貴文の「徹底抗戦」を読んだんやけど、驚いたわ。過酷な取調べ、独房生活の割にはその手記に文学の香りがまったくせーへん。
たぶん、この試練は神さまが与えてくださったとか、これを乗り越えれば新しい自分に出会えるっちゅう感覚はないんやろなあ。
徹頭徹尾、ゲーム。この独房ゲームのルールは何で、自分はそのルールのどこで引っかかって、
ここから出るための最も効率的かつ確実な言動は何かっちゅう感覚なんかなあ。
人生をゲームのように考えるんやなしに、ゲームだけが人生ちゅう感じやな。

とにかく、まだ死に体やないな、堀江はんは。
勝者への嫉妬と羨望、敗者への優越感と哀れみ、そんなマスコミ的世論装置にからめとられんと、きばってほしい兄ちゃんや。

ほなら



今日の動画:不能者
ああ そうだ 娼婦は正しい
欲望の女神さまだ


posted by enpho at 17:49| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月22日

「負け犬の遠吠え」〜良薬はいとおかし

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2004年の流行語大賞トップ10入りの「負け犬」、30代以上、非婚、子なし女性を指す言葉、その出展元がこの酒井順子著「負け犬の遠吠え」である。

内容は当事者である本人の開き直り、自虐ネタという偏見をもって読み進めれば、これがあにはからんや、それは単なる販売戦略であって、「世間」という呪縛からいかに逃れて幸福を追求するかを面白く読ませる本である。

そう、この本は面白かった。興味深く読んだというだけではなく、本当に数箇所で声を出して笑った。

女性には人生のグローバルスタンダードがある、とされている。結婚して子を生し、子育ての後にゆったりと老後を楽しむ、であろうか。オプションとしては、仕事と家庭を両立コースもあるかもしれぬ。

このコースに乗れた女性を勝ち犬、乗れなかった女性を負け犬とあえて区別することが、この本のスタートだ。

そう、勝ち負けが結論ではなく、議論の土台にすぎないのだ。だから、その区分けは赤ワイン白ワインでもゆり組バラ組でもなんでも良かった。(でも、「白ワインの味気なさ」や「バラ組みの憂鬱」ちゅうタイトルじゃ、わかりにくくて本は売れんわなあ)

じゃあ、何が結論かと言えば、このグローバルスタンダード=世間は選択肢のひとつであり、どちらを選んでも間違いではない、ということにつきる。

いやいや、この選択肢に正解不在はあり得ず、グローバルスタンダード=世間こそが正解だと信じて止まない人々に対して、酒井女史は、確かにそういう考えもございますが、両方正解という考え方もあるのではないのですかという遠吠えを記している。そう、まさに遠吠えだ。一番届いて欲しい人々は一番遠くにいるのだから。

もちろん、身近な同輩負け犬にもエールを送る。それは世間に負けずに頑張れではなく、両方とも正解なのだから、二つの正解の間に折り合いをつけて生きていくのが楽しいですよ、というエールだ。

ここまでがこの本の面白さ基本編。
では応用編はというと、「世間」の呪縛は女性の幸せ以外にも、例えば、男らしさ、ビジネスルール、民主主義、環境保護やら複雑に絡み合って私たちの考えと行動を自然に制約しているが、その不自然さから如何に自由に生きるか、を考える上でのケーススタディとして使えるということだ。(ん、なんか犬井ヒロシの苦悩と自由のブルースっぽくなってきましたか?)

言い換えれば、「空気」を読まずにはいられない、それを読んで発言して行動することこそ人として正しい道だと信じる人たちと折り合いをつけつつ、如何に「空気」を利用して楽しい人生を送るかを考えるための最良の本だと言えるかもしれない。

♪負け犬フリーダム、負け犬フリーダム、ダダダダダダダダダダン♪でも雄の負け犬にはちょっぴり辛口なのは内緒やでえ、サンキュー!


今日の詩:「見えない綱渡り」

孤独は自然だ
結婚は作り話だ
家族は演技だ
恋愛は交通事故だ




ラベル:酒井順子 負け犬
posted by enpho at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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