とある少林寺拳法の有段者の話だ。
少林寺拳法は、中国の様々な武道を日本人がRIMIXして誕生させた。
フルコンタクトのはしりだったが、その後の進化を放棄したため、今や武道自体のパワーが衰えてしまった
。
今や道場は学校、同じ鍛錬方法、同じ型の伝授、同じ目的へ向かって量産される、武道風味のサイボーグ。
いわゆる教育の弊害は、学問だけではない。
集団で行動する際に犯してはならないタブーを暗黙の内に埋め込んでしまった。
学校、課外活動、友人との会話、飲み会でのバカ騒ぎであっても、
わけの分からない調和がぼく達の心を体を脳みそを優しく柔らかくやるせない感触で
すっぽりとおおってしまう。
身体の共鳴はない。精神の共鳴しかない。
今や体は体であることを体自身が忘れ、精神との連鎖も断たれ、全てのスキルがスキルのためのスキルとなって、ぼく達が外部へ働きかける時に実感を伴わずにスキルを用いることで、スキルに使われてしまうのだ。
その蓄積が精神へのダメージとなり、それを回避するためにそのダメージを単なるデータへと置き換えることで、体への痛みを回避し、それがますます両者(精神と身体)をさらに引き離す。
結果として、身体は単なる物体、精神を収めたタンパク質ボックスと成り果てた。
「合気道は相手と気を合わせるのではない。宇宙と気を合わせるのだ。」
合気道もたしなむその有段者は言った。たぶん、それが各自の目的を自覚することなのだろう。
人間の数だけ宇宙も存在するのだから。
(追記)
「俺」という主語を監督し始めたのは、中学から。あの頃は乱暴な言葉使いに憧れた。家族が嫌だった。あのねっとりとした、あの包み込むような得体のしれない膜に覆われるのが。
*今日の動画
TOMOYASU HOTEI (I'M FREE)
”I'M FREE 俺は俺の宇宙で 楽しませてもらうぜ”