

私は今日、みなさんにはっきり言います。私たちが抱える課題は、幻想です。幻想は深刻で、たくさんあります。簡単に払拭できないし、短期的に払拭できるものでもありません。けれども日本よ、これは知っておいてもらいたい。幻想は、消滅します。
私が今日のこの日、ここにご使命及び任命頂いたのは、憂鬱よりも期待を抱き、規則や管理よりも、多様な生き方が許される社会をを希求するという皆さんの願いの賜物と存じております。
今日のこの日に私は、形だけの議論や美辞麗句だけの政策はもう終わりだと、そう表明させて頂きます。この国の政治をあまりにも長い間、身動きできなくしてきた国会議席数獲得合戦や使い古された官僚作文はもう終わりだと。
私たちは血縁を重んじる国です。けれども仏教聖典の言葉を借りるなら、父子や縁者に救いを求めることはもうやめるべき時です。今こそ、私たちの利他の精神を再確認する時です。自分たちであらゆる縁、巡り会わせを尊び、血縁や地縁を越えて受け継がれてきたあの大切な習慣、あの豊穣な思想を、さらに利己に囚われず推進すべき時です。私たちの大切な習慣、豊穣な理想とは、人に生まるるは難く、いま生命あるは有難くという感謝と恨みは忍を持ってのみ解くを得るという不変の真理です。
この国がいかに恵まれた国か再確認するにあたって、私たちは、何をしなくても当然のこととして恵まれた国などないのだと承知しています。
恵みとは、謙虚さを失わずに頂かなくてはならないものです。長い耕作を営んできたこの国は、これまでも決して手抜きをしたり、悪天候に怯むことはなかった。私たちの耕作は、気の短い人たちには不向きな営みだった。気の短い人たち。収穫よりも収奪をしたい人たち。浪費や褒美の楽しみだけ求める人たち。そういう人たちは、私たちの耕作には向かない。
それよりも、未知への厳しい作業を繰り返して、私たちのこの国に豊かさと平和をもたらして頂いたのは、必ずしも前例にとらわれない人たち、徒労に喜びを見出す人たち、ものを自分の手で作る人たち、そういう人たちでした。中には功績を賞賛された人たちもいますが、多くの場合は、決して褒美に授かることなく地道に働き続けた人たちなのです。
そういう働く人たちの願いが私たちのために、形式を変えながらも、豊かな生活を求めて、様々な時代を乗り越えてきた。
そういう人たちの願いが私たちのために、ひどい身分差別や重税の労働に挫けずに、開かれた社会を築いてくれたのです。そういう人たちが私たちのために、一揆や反乱を起こし、閉ざされた社会から決別させてくれたのです。
そういう人たちが私たちのために、白村江や壇ノ浦や関ヶ原や鳥羽伏見やミッドウェーといった戦場で戦い、そして死んでいったのです。
こういう男たち、女たちは繰り返し繰り返し、私たちがより豊かな生活を送れるようにと、苦闘し、自らを犠牲にし、自分の手がボロボロになるまで働いてくれたのです。その人にとって国とは、一人ひとりの思いを越えて更に大らかなものだった。一人一人の地縁や血縁の違いを越えて、もっと大らかで豊かなものだった。
そしてその同じ耕作を、私たちも続けているのです。この国は依然として、豊かで恵まれた国です。
posted by enpho at 01:00|
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